
今は柔和な笑顔でよく喋り、関ジャニ∞の中でもお笑い担当になっている横山裕さんですが、ジャニーズ事務所に入所した頃の横山裕さんをご存知ですか?
ジャニーズJr.黄金期の真っただ中に入所したにも関わらず、ジャニーズらしからぬ金髪に鋭い目つきの色白ボーイで、この子は本当にジャニーズなの!?と思ったものです。
しかし見た目とは裏腹に錦戸亮さんの面倒を見ていたのが今でも印象的で、関ジャニ∞の仲の良さはJr.時代の絆の証なのでしょう。
そして金髪の色白ボーイには暗黒の幼少時代があったんです。
今回はそんな悲しい横山裕さんの生い立ちをひも解いていきます。
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横山裕の壮絶過ぎる生い立ちとは?義父に虐待されたのは事実!?
横山裕さんの母親が横山裕さんの父親と離婚したのはまだ横山裕さんが3つの時でした。
その後、母親はすぐに再婚しています。
しかし、この時、横山裕さんは義父に邪魔者扱いされ、祖父母に預けられてしまいました。
そして母親と義父の間に2人の子供が生まれました。
横山裕さんとは6つ違いと8つ違いの弟です。
横山裕さんは中学生の時に育ててくれていた祖父が病気にかかってしいまい、義父と一緒に住むようになりました。
そして今度は義父に度重なる暴力を奮われるようになったんです。
つまり横山裕さんはネグレクトと暴力という典型的な虐待を受けたんですよ。
そして高校進学の時、義父は横山裕さんに進学を許さずに「稼げ!」と言ったそうです。
そして母親がジャニーズ事務所に履歴書を送り、横山裕さんはオーディションを受けて入所しました。
「何つう親だ!!」と思いますが、横山裕さんは父親と離れられてホッとしていたかもしれませんね。
このように横山裕さんの生い立ちは壮絶なものだったんですよね。
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横山裕の弟の記憶喪失の原因は!?母親の急死
壮絶な生い立ちのある横山裕さんですが、母親との仲は悪いものではなかった様です。
母親は横山裕さんがジャニーズに入ってから二度目の離婚をし、横山裕さんの弟を引き取りました。
家計は横山裕さんが支えたそうです。
そんな母親との永遠の別れは横山裕さんが29歳の時でした。
まだ50歳だった母親が虚血性心疾患で倒れ、そのまま亡くなってしまったんです。
そして残された2人に対して「この2人は俺が面倒みるんだ」と心に誓ったそうです。
凄いですよね?
自分を虐待した男の子供を面倒見る!と思える横山裕さんは素晴らしい人だなと思いました。
そんな弟達ですが、記憶喪失になってしまったのは6つ下の弟さんのようです。
弟さんは母親が急死した時、誰よりも気丈に振る舞っていたんだとか。
しかし、その弟さんが倒れ、心配した横山裕さんが電話をかけると「お兄ちゃん、皆が何か変な事を言うねん。おかんが死んだとか言うねん」と言ったのだそう。
弟さんの記憶は母親が亡くなった時も含めて2年位の記憶を失っていました。
あまりに突然過ぎる母親の死に弟さんの心が耐え切れなかったのでしょうね。
そんな弟さんを支えたのも横山裕さんでした。
関ジャニ∞としてノリにノッっていた時期、今もノッていますが時間を作るのも大変だったでしょう。
しかし、横山裕さんは家族の時間をとって家族で旅行したり、弟の心のケアをしたそうです。
きっと必死に弟さんを支えたのでしょうね。
そのお陰で弟さんの記憶は戻ったそうです。
記憶が戻って本当に良かったですね。
まとめ
横山裕さんは義父に虐待されたという壮絶な生い立ちだったようです。
しかし、そんな過去にめげず、家族の為に長男として必死に生計を立ててきたのが本当に凄いですよね。
母親の急死や弟さんの記憶喪失等、大変な逆境を乗り越えて今の横山裕があるんだと思います。
今度は自分の幸せを掴み取って欲しいなと願っています。
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